月刊ワークス(リクルート出版)
1年連載『エッセイ/ベイエリア便り』
98年4月より99年3月までの1年間連載
各号見開き2ページ、約2500字・カラーイメージ写真、写真も筆者撮影)
もともとリクルートは人事関連、ワークスタイルなどのエッセイを筆者に依頼したために、前年度はその意向を反映して1年間ワークスタイル中心のエッセイを執筆した。しかし、ビジネスという観点よりもその中で触れた夫婦の話や女性の話の方に読者が大変関心を示したことにより、2年目は家族や女性といったテーマを含む社会一般の関心事項で連載を持つことを依頼された。
◆ No.23 (4/98)
「もうひとつの家庭の型、ブレンテッド・ファミリー」
(離婚、再婚を繰り返す中で血縁のない親族=ステップの関係がはびこる
米国での家族のかたち)
◆ No.24 (5/98)
「日本と米国の「謝り」の処世術」
(職場で、プライベートで、謝る、ということに対する価値観・態度の違い)
◆ No.25 (6/98)
「米国の高齢者ケアは社会の課題」
(日米共に高齢化が進む社会での老人の生き方、考え方の違い)
◆ No.26 (7,8/98)
「ボーダレスとなった結婚:日本女性の立場」
(死語となった国際結婚。日本女性があらゆる外国人に大モテの理由)
◆ No.27 (9/98)
「日本の見栄文化とマテリアリズム」
(日米共に物質文明花盛りの中、日本の見栄にかきたてられる物欲と米国の実を
求めるマテリアリズムの違いを描く)
◆ No.28 (10/98)
「コンピュータにのみ込まれないで」
(空前のシリコンバレーブーム到来、世はコンピュータが全てという時代へ逆に
忘れてはいけないこと)
◆ No.29 (11/98)
「結婚から遠のく現代人」
(あらゆるチョイス(選択)が与えられている現代の若者たちは、結婚という
ひとつのチョイスからかえって遠のいている?)
◆ No.30 (12/98)
「女らしさはそのままで」
(ウーマンリブから30余年。しゃかりきおばさんよりしなやかレディーが勝つ
理由)
◆ No.31 (1,2/99)
「終末をむかえて」
(「1999年世紀末」のひびきと共に緊張感の深まる中、本当の終末(聖書)の
意味とは。)
◆ No.32 (3/99)
「コンパニオンとしての伴侶」
「男は仕事、女は子育て」を超え、人生80年地代、子育て終わってから数十年
ある今世を共にするパートナーシップのかたち)
年間連載 米国のWork Style 『シリコンバレー便り』
97年4月より98年3月までの連載
(各号見開き2ページ、約2500字
カラー写真入り/写真も筆者が撮影)
日米ビジネスでのワークスタイル(仕事に対する姿勢など)を比較しながら日本企業や日本人ビジネスマン(ウーマン)の盲点を投げかける。全て筆者の実体験に基づくミニストーリーを土台とし、読みやすいエッセイ形式にまとめてある。読者は日本の大中堅企業管理職、人事部、人事関係者など。
◆ No.13(97年4月号)
「インターンシップは学生も企業も双方を引き付ける」
(当時まだ日本では馴染みのなかったインターンシップの必要性を問いかけた)
◆ No.14 (97年5月号)
「キャリア・アップ転職には運動神経のようなものが必要」
(転職をバネとしてキャリア形成をする米国式キャリアアップの話)
◆ No.15 (97年6月号)
「伸びるアジア・パワーと時代錯誤の日本企業」
(無意識のうちに西欧崇拝とアジア人蔑視のある日本人高年管理職を風刺)
◆ No.16 (97年7,8月号合併号)
「日本企業は米国で育てた留学生の力を活かせない?」
(社費留学させた有能な人材が二度とその社へ戻りたくなくなる理由)
◆ No.17(97年9月号)
「夫婦同伴 VS 単身赴任/文化で違う夫婦観」
(「夫婦は一単位」として扱う米国企業の体質から学ぶもの)
◆ No.18 (97年10月号)
「日本の社内ベンチャーとシリコンバレーのベンチャーの違い」
(丁度ベンチャーという言葉が日本ではやりだした頃、日本式ベンチャーと
米国のventureの考え方の違い)
◆ No.19 (97年11月号)
「米国人には理解できない日本の接待事情」
(機会の国、アメリカ。ビジネスカフェが日本で起業をするため景気の良い話が
(接待はどこまでが正当なものか。米国人の目からみた日本式接待)
◆ No.20 (97年12月号)
「サービスの差に見る仕事感覚の違い」
(「サービス」という言葉が日本に輸入・誤用さてから一世紀弱。日本の労働
態度に疑問)
◆ No.21 (98年1,2月合併号)
「日米で違う仕事と家庭のバランス感覚」
(家庭と仕事;両方とも1個人の同等に重要なポジショニングを訴える)
◆ No.22 (98年3月号)
「日本女性が帰りたがらない日本」
(日本を去る独立心の強い日本女性は年々あとを絶たない。しかし一度自由な
空気をすった彼女たちはもう二度と日本では生活したくなくなってしまう)